1968年、東京赤坂に伝説のディスコ「MUGEN」が登場してから40年。 その始まりから、70年代中期から80年代中期までの一大ディスコブーム、そして、バブル崩壊とともにディスコ文化が衰退していく90年代中期までを中心に、「東京のディスコの歴史」を紹介。

当時関係した人々(経営者、プロデューサー、DJ、客)の証言や貴重な映像資料、そしてもちろんフロアを満たしたディスコミュージック等により、「ディスコという文化」を検証する。 ディスコ黄金期をリアルタイムでフィーバーした世代はもちろん、当時をまったく知らない世代にも楽しめる「あの頃の東京の物語」。

ディスコ「MUGEN」は、皇室から政治家、三島由紀夫、川端康成、澁澤龍彦、田辺茂一、丹下健三、小沢征爾などの大御所たちや当時若い世代といわれていた横尾忠則、篠山紀信、加賀まりこ、安井かずみ、三宅一生など、サイケデリックなファッションに身を包んでやってきたR&Bの店だったそうだ。音楽だけでなく、日本初のディスコ「MUGEN」、ディスコというワードを日本に紹介したという「BYBLOS」の照明デザイン、演出をした照明アーチスト藤本晴美氏などが出現する。

また、ニック岡井という1970年代にグループでデビューし、ソウル系ダンスステップの第一人者で、日本人のために数多くダンスのステップを考案するなど、長年ソウルミュージック界で活躍した人がいた。この人がいなければ、ディスコは流行しなかったかもしれないと言われている。

ディスコ(disco)やディスコテーク(discothèque)は、音楽を流し、飲料を提供し、客にダンスをさせるダンスホールである。踊りと音楽の二大エンターテイメントを扱う巨大空間の業界だけに、敵も多い。条例や法律に縛られて衰退していった。人間の欲望を飲み込んでいっただけでなく、日常から解放した意味で役割は大きかった。

ディスコの歴史(ウィキペディアより)

黎明期:1960年代-1970年代前半

一般的には1968年(昭和43年)に赤坂と歌舞伎町に出来た「ムゲン」(1968-1987)、そして赤坂の「ビブロス」がディスコの走りといわれている

1975年-1979年(第一次・第二次ディスコブーム)

映画 「サタデー・ナイト・フィーバー」が日本公開されて大ヒットしたことで新宿、渋谷、六本木、池袋などの繁華街に多数のディスコが開業現象。、新宿の「ツバキハウス」、「ワンプラスワン」など

1980年-1984年(サーファーディスコ・ブーム)

ディスコブームを象徴するのが六本木スクエアビルである。地下2階から10階までの12階中、1Fと4Fを除く全てのフロアがディスコになった。中でもNASAグループの「ネペンタ」「ギゼ」が人気店となる。六本木スクエアビル以外では、六本木「エリア」の前身である日拓系列の「マジック」、伝説的な存在となった六本木「キサナドゥ」「ナバーナ」、外人顧客が中心の老舗「レキシントンクイーン」などが、JJ誌やFine誌などの雑誌メディアに紹介された。新宿ディスコでは「ゼノン」でお馴染みのジョイパックグループの渋谷「ラ・スカーラ」が人気店となった。映画「ビッグウェンズデー」の人気でサーファーが流行し、サーファーの聖地「キサナドゥ」は、実はトイレが壊れて閉店したという。

1985年-1989年(ユーロ・Hi-NRGブーム)

湾岸地区が「ウォーターフロント」と呼ばれ、六本木周辺の地価高騰から新たな再開発地区として、またプレー・スポットとして注目。「オーバー2218」、「サイカ」、「ゴールド(1989年)」、「横浜ベイサイドクラブ(1987年)」、麻布十番「マハラジャ」、青山「キング&クイーン」、六本木「トゥーリア」

1990年-1994年(ハウス、ユーロビート)

巨大ディスコ「ジュリアナ東京」が、東京・芝浦に開業。ワンレン、ボディコンの女性たちが、羽根付き扇子を振り回し、お立ち台で踊る姿が連日メディアに取り上げられた。

1995年-2000年(クラブ、ジャングル、テクノ)

ユーロブームが神楽坂「ツインスター」や上野「ARX(アルクス)」そして六本木「エリア」中心に起こった。六本木に最後の大型ディスコと呼ばれた「ヴェルファーレ」がオープンするも、この頃から自分に合った音を求めるコアな常連客だけで営業が成り立つクラブが主流を占めるようになり、またドレスコードの高級スーツやボディコンから、カジュアルなファッションが人気となり、いわゆる「ディスコ」から「クラブ」への変化が始まった時でもある。

2000年-現在(クラブ、ドラムンベース、2ステップ

1990年頃から、ディスコはクラブ に移行したが、ジャニーズ系タレントがバックダンサーにパラパラダンサーを起用し、TVで露出が増えた事をきっかけに、パラパラが人気になった。そして1999年(平成11年)から2003年(平成15年)にかけてパラパラブームが起こった。 しかし、現在のトランスシーンと同様、低年齢層・大衆層でのブームは両刃の剣であった。2000年(平成12年)以降、24時(東京都では条例により商業地の場合午前1時)閉店が義務づけられる「ディスコ」に代わって、風営法の網をくぐった飲食店でのDJイベント「クラブ」が流行した。


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